宿題

小学生のころ、宿題を出されるのが大嫌いだった。5年生のころには意図的に提出しなかったこともあり、親が授業参観の時に「宿題をやってきてもらわないと困る」と言われたそうである。

これはなぜかと言うと、家に帰って私にはピアノの練習をしなければならないという大仕事が待っていたためだ。17時から2時間、さらに20時から1~2時間くらい。1週間に一度のピアノ指導を受けるために、そのくらいの練習をしないととても間に合わない。学校の宿題は多すぎる。とてもそれをやっている暇はない。そう思っていた。

特にひどかったのは「漢字を毎日100字ずつ書いてきなさい」というもの。意味が分からない。どんな字を書けばいいのか。そして漢文を習っているわけでもない。ひらがなと漢字を組み合わせた「作文」なら書いても良かったのだろうが、漢字のみの羅列を書かされることが分からなかった。

まず「100字」書けばよいという話だったので同じ字を100個書いていった。すると「違う漢字を100字書くんですよ!」という先生のお言葉。そうですか。それならと教科書に出ている漢字を適当に並べて提出したら「それでいい」ということ。しかしこんなこと何のためになるのか、という疑問が生じる。そこで提出するのはやめてしまったというわけである。先生から言われたら「忙しいので」とか言っていたと思う。本来なら授業で完結するのが学校の勉強であるべきなのであって、それができないから「宿題」などということになるのだと勝手に思っていた。

話は変わって、そのピアノの練習のことであるが、1時間くらいの指導を受けるために費やす練習はかなり時間のかかるものだ。間違えなく弾けるために何度も何度も練習をする。これも私にとっては苦痛だった。学校から帰ってきて大半の時間がピアノ。読書もしたいしテレビも見たいし、外でも遊びたい(17時までは野球などで遊ぶこともあったが)。しかしピアノの練習をしないと先生に厳しく叱られるので、仕方なくやっていたのだ。

よく考えると、能力のある人にたとえばブルクミュラー「素直な心」を初見で弾いてみなさい、と言えば簡単に弾けるだろう。本来はそのように、1回のレッスンで指導は完結すべきなのであって、家での練習を強いるというのは良くないのではないか、という疑問もなくはない(もちろん極論であることは承知)。というのは知り合いのピアノ教師で、生徒がピアノを所有していないという話を聞いたことがあったからである。鍵盤ハーモニカくらいしかもっていないので先生の所には練習をしに来るという話だった。なるほど、環境が整っていなくてもピアノは弾きたい。そして習いたい。そんな子供もいるということを知って、考えてしまった。

それならレッスンはすべて初見で行う、などの方法はどうか。コンクールに入賞する、あるいは音大に合格するなどの指導はできないだろう。しかし音楽の楽しさを教えることはできるかもしれない。ただ、「譜読み」の能力をどのようにつけさせるのかが教師の腕の見せ所かも。

最近、こんなことを考えているが、時間の無駄だと思うので次回は他の話題にしたい。

このブログは更新が滞るようになりましたが、キーボードを打つ作業が腕の痛みを治すためにはあまり良くないということが分かってきたためなので、しばらくの間お休みといたします。どうぞご容赦ください。

自宅のピアノ

家にピアノがあることは私にとって基本的なことである。それは私がこの楽器を演奏することに関係した仕事をしているからである。

今までいろいろなピアノを弾いてきた。昔は中流家庭には価格が高く、我が家も月賦(古い言葉)で買ったものだが、高校に入るころ下宿で使う必要が生じ、免税で新しい1台を買ってもらった記憶がある(消費税導入の際にこの制度はなくなった)。このピアノ(ヤマハG3)は弦が何度も切れる特徴があり、何年か後にG5というピアノを購入してもらった。このピアノはのちに知人にお譲りすることとなった。

それからいろいろなピアノを購入してきたが、一番思い出に残っているのは初めて自分の働いた給料で買った「G2」。アパートの6畳間で弾いていたが、夜間練習用の弱音装置があり、これはかなり便利だった。

埼玉県大宮市(当時)に在住していたたしか1999年に購入したのが「ベーゼンドルファー170」である。私としては一番気に入っていたピアノだったのだが、何度か調律師が出入りするうちに音が変化してしまい、結局売り払ってヤマハS4を選ぶこととなった。「S4」はレッスン室で用いているが、現在、非常に後悔している。というのは調律師を何度も変えたのは、購入時にいろいろお世話になったKさんという調律師が亡くなってしまったからであり、いろいろな人に頼んだが音は悪くなるばかりだった。良い調律師はいないと思いこんでしまい(ベーゼンドルファー関係の会社から頼んだこともありそれが最後だった)、短気を起こしてしまったと思う。もっと根気よく探すべきであった。

信頼できる調律師とピアニストの関係は重要なのである。こちらの意見を聞いてもらえない調律師の場合が困るのだ。「良い音」に関しては意見もあることと思うが、自宅で演奏するのは私なのであり、「標準」のタッチや音質にしてほしいのである。それが、頼みもしないのに「今日はいつもより針を多めに入れておきました」などという作業をされることもあり、終わってしまったらもう以前の音には戻らない、などということもあった。「腕自慢」をされるのも複雑な心境、ということになるのだ。

それゆえ、整音作業の際にはできるだけ仕事を見せてもらうことにしている。

最近お願いしている調律師は、安心してお任せできる人である。2013年以来のお付き合いで、修理もお願いできる優秀な方である。ただ、ベーゼンドルファーを売却する前にこの人に会いたかった。これだけは返す返すも残念なことだ。個人の練習ではスタインウェイB型を使用。ホールで演奏するのはスタインウェイが多いため、そしてどんなジャンルにもほぼオールマイティな性能を有するピアノだと思うのでこれで満足である。

ただ、(何度も繰り返して恐縮だが)ベーゼンドルファーをもう一度弾いてみたいという気持ちがなくなることはない。やはり調律師は重要である。

いっそのこと、定年後は自分で調律、整調整音の技術を学んでみようかという気もする。それは後の楽しみ、ということで・・・・・

「ベートーヴェン ピアノ・ソナタ」の勉強(5)

「ピアノ・ソナタ第29番 Op.106」の続き。今回は基本的に問題提起にとどめる。近いうちに演奏し、その後、自分の意見を書いていきたい。

第1楽章  第210小節の音、および再現部直前の音についてはすでに書いた。そのほかの問題点としては以下の通り。

・ 第2主題がどこから始まるかということがある。多くの書では第63小節から(第62小節の最後から)と書かれているが、そうすると第45小節でト長調に転調したあとの第47小節からの流れは推移ということになるのだろうか。これについてチャールズ・ローゼンは「数小節経過しただけでト長調の調性空間にいることが分かるが、完全な確認、すなわち解決は、第63小節で、下行3度またはその補足音程である6度上昇のみで構成される新主題が現れるまで控えられる」という考え方に従いたい。

・ 今でも分からないのは二分音符=138というメトロノーム記号である。当時の機械の精度が悪かったせいではないかと一時考えてみたこともあるが、「壊れていたと想定させる根拠はほとんどない(大崎滋生『音楽演奏の社会史』)」ということらしいので、ベートーヴェン交響曲の問題と同様、作曲家は自作品にしばしば速すぎるテンポ表示を行うものだという考え方しかないのだろうか、と思う。シューマンもしばしば速いメトロノーム表示を行っており(トロイメライなど)、クララ・シューマン版ではそれが遅めのものに変更されていることや、作曲家が「改訂版」を作成する際にテンポをしばしば変更することなどもある。

第3楽章

・ 第76小節の八分音符第3拍目の右手: しばしばヘ音記号の音で演奏されるが、音楽的には分かるが楽譜からそのようには読めないので、この奏法は私は採用しない。

・ 第178小節の左手音形: 次の小節との関連を見ると5拍目での不自然な形は作曲者による誤りとも思われるが、こういう音を覚えるのも暗譜には大事と考えて、直さずにそのまま演奏することにしている。こういう箇所を見るといつも「ピアノ協奏曲第5番」第3楽章の第82小節と第329小節の関係を思い出すが、この協奏曲の音を変更しようとする人はたぶんいないだろう。

f:id:MickN:20201108095024p:plain

・ 第187小節(楽章最後)の「tutte le corde」: ベーレンライター版だと「clealy here in sources, but possibly error?」と注が付けられていた。第4楽章冒頭で左ペダルを上げるのなら自然であるが、どうなのだろうか。これも今後考えてみたい。カセッラ版にはなるほどと思わせる意見が書いてあった(以下譜例)。

f:id:MickN:20201108085722p:plain

第4楽章  フーガについては属啓成『ベートーヴェンの作品 上巻』による分析が参考になる。全体で8つのフーガから構成されているというもので、特に第4の「逆行フーガ」が面白い。

・ 第6の「新主題によるフーガ」の部分: 第261小節からの流れで♮に演奏すべきという意見には納得できる要素もある。しかし私はここは楽譜に従って演奏した。第252-3小節にも同様の音程が見られるというのがその時の根拠だった。「C」で演奏する人(ブレンデルなど)、「Cis」で演奏する人(ギレリスなど)、いろいろ分かれているようではある。譜例はブライトコップ版の全集であるが、#が付けてある。

f:id:MickN:20201108092048p:plain

・ 第296小節第3拍: 「C」であるが主題の音程に合わせて「D」に修正してある版もある(ヘンレ版、ベーレンライター版など)。

・ 第392小節の第3拍: ここだけ4分音符となっているが、ベーレンライター版では「交響曲第6番」第1楽章の記譜のことも参考に書いてある。実際問題としては8分音符だという説もそうかとは思うが、フィッシャー版で示されているように、主題の冒頭動機が3回ずつ繰り返されることを理解するということも大事だとは思う。

この作品は年内にはたぶん演奏できると思う。その時に何か気が付いたらまた続きを書く予定である。

 

「ベートーヴェン ピアノ・ソナタ」の勉強(4)

前回に引き続き、「ピアノソナタ第29番 Op.106」について。

第2楽章「スケルツォ」はアウフタクトで始まるが、1拍目に向かってcrescendoが指示されている箇所と、3拍目にアクセントが指示されている箇所がある。ここを見ると、かつて「交響曲第8番」のフィナーレがアウフタクトであることを知らずに聞いていたことを思い出す。ベートーヴェンの作品にはこのように強拍が分かりにくくなっている曲も多い。中間部の伴奏形は幅広い10度のアルペジオだが、このようなオクターヴを超えた伴奏形はすでに「ソナタ第2番Op.2-2」などから見られたもので、ベートーヴェンの伴奏に対する工夫を感じる(譜例はUniversal版)。広い伴奏形の例としては他にOp.31-1最終楽章など。

f:id:MickN:20201104071414j:plain

その後のPresto から Prestissimo になるところで「8va」記号が見られるがここの弾き方は演奏者によって異なる。左手にも適用する人もいるようだが私は右手のみオクターヴ上で演奏。ベーレンライター版の注解を読んでも、ベートーヴェンの音楽語法とottava記号の書き方について詳しく論じられており(ピアノ協奏曲第3番、第5番の例もある)、ここれは2オクターヴ離れた音なのだろうと考えている。

第3楽章は長大なアダージョで、孤独感を表した音楽のように思う。主題がまず長く、テンポを維持しながら演奏すると息苦しくなる感じもあるかもしれないが、これが後期のベートーヴェン。例えば「チェロ・ソナタ第5番Op.102-2」のアダージョを演奏したときのことをよく思い出すが、弦楽器がうらやましく思ったものだ。ピアノで演奏するときに、弦楽器ならどんな響きか、ということをイメージしないととても間が持たないように思う。初めてこの作品を演奏したときにはワインガルトナー編曲版を聴くことが参考になった。

第4楽章ラルゴの序奏部は、16分音符の数え方が作曲者により指示されているのだが、どうにもわかりにくい。最初の小節が第2拍から始まる、としている書もあるが(伊藤義雄『ベートーヴェンのピアノ作品』、それでもまだよくわかっていない。そして第9小節では書き方が混乱しているとしか思えないが、以前の演奏では私はここも「16分音符」を基準として弾いたため、途中の8分音符(3連符)から急に遅くなる。これでよかったのだろうか、と今では思っている(譜例Universal版)。

f:id:MickN:20201104080059j:plain

フーガについてはまたの機会にしたい。

ところで、腕の調子が少しずつ戻ってくると、今まで弾きにくかったパッセージがなめらかに弾けていることに気づく。やはり身体の健康は演奏に重要である。12年前にも左肩が痛くなったが、今回の右肩は重症だった。治るのには半年以上を要している。今まではピアノの演奏が腕に悪いとは思わなかったのだが、あるテクニックが肩の痛みに関与していることを最近発見し、今後はつとめて自然な奏法を考えないとまた痛みが発症するのでは、という考えのもとに、恐る恐る練習をしているという状況である。

 

「ベートーヴェン ピアノ・ソナタ」の勉強(4)

演奏はしばらく休むが、楽譜の調査は継続している。

ピアノ・ソナタ第29番 Op.106(ハンマークラヴィーア)は長大な作品である。初めて勉強したのは大学院入試の課題曲になったときだが、この時は第1楽章のみだった。修士課程修了演奏で全曲を演奏した時は、とにかく長く、暗譜が難しかった記憶がある。

この曲自体は中学生のころから聞いており、特にアルフレッド・ブレンデルが来日した時にこのソナタを演奏していたのが記憶に残っている。中期作品の特徴に第1楽章の構造を不安定にするということがあったが(「テンペストソナタなど)、この曲の冒頭は自信に満ちており、「それまで聞いたこともないような響き」と何かの解説に書いてあったが本当にそんな感じだ。第2楽章がスケルツォ、第3楽章の長大なアダージョ、という楽章構造は「交響曲第9番」をどこか思わせるものがある。そして第1楽章の第2主題などでは同交響曲の雰囲気に似ているような感じもすると思う。作曲されたのは1817~19年、1818年に書かれた作品はこのソナタ1曲ということで、彼がこの曲に全精力を注いだことが想像される。

第1楽章冒頭はC.ローゼンが「身体的ジェスチャーが音楽の意味にとって重要だと認識させてくれる」例だというもので、「両手で弾くとベートーヴェンのねらった効果が半減してしまう」と言う。ただ、リサイタルなどでこの箇所を左手で演奏するのは音を外す恐怖と戦わねばならず、実際に音を外してしまう、あるいはリズムが不正確になるといった状況を生み出しかねない。そこで私が演奏した時(2012年他)はトーヴィの提唱する方法を応用した。それは左手ではB1-bの2音の跳躍を演奏し、右手でf-dの和音を演奏する方法である。この主題は力強く、オーケストラのような響きが特徴であるが、繰り返した際にアウフタクトオクターヴにして演奏する人がいることには賛同できない。これは例えば「熱情」ソナタ第1楽章のクライマックスでC音をオクターヴで演奏することにも言えるのであり、私は書かれた音で演奏するべきと考えている(例外はソナタ第7番Op.10-3くらい)。

第1楽章第210小節の音については諸説あるのだが、ベーレンライター版だと Gis を採用している。この音に説得力があるとされているのだが、私は今までずっとGで弾いてきた。調号は h-moll を示しているし第205小節にみられるような短調長調の揺れだと考えるのが、もう少し調べてみたい。その先、第224小節からの再現部に向かう音でオリジナル楽譜は Gis - Ais を示しているがこれはGis‐ A と読むべきだと考えている。ベーレンライター版もそのように表記している。根拠は注解書に書いてある通りだと思うが、念のためにベートーヴェン作品の再現部がドミナントから導かれない例があるのかを調べてみたことがある。これは面白い。確かに何曲かあるので(交響曲第7/8番、「大公 」トリオ、ピアノソナタ「告別」など)、突然 B-dur に復帰というのも分からないでもない。しかし、G- Gis- Aisという進行より半音階的に進んでドミナントと考えたほうがベートーヴェンの音楽らしいのではないかと考えるのだ。この曲のエディションで、1975年にJohannes Fischerが編集したPeters版が興味深い。ロンドンで出版されたエディションも参考にしながらいろいろな音を解釈しているのだが、特に変わっているのは第1楽章第365小節2拍目裏からのバスG♮音をGesとしていることである。フェルマータまで短調という音の流れもなるほどという感じがするが、私はここはGで(長調で)演奏することにしている。

 f:id:MickN:20201029082703j:image

(左:ベーレンライター版、右:フィッシャー編ペータース版)

フィッシャー版では第2楽章にアダージョを置いているが、これはベートーヴェン自身がロンドンでの出版にそのようなことを言っている、ということを根拠とし、さらに楽章の終わりの音から次の楽章に進むときに自然だというようなことが書いてあった。これも一考に値すると思うが、「第九」と同じ時期に構想された作品ということを考えるとやはり第2楽章はスケルツォであるべきなのではないかと思っている。これももう少し研究が必要。このアダージョにはいろいろな音の問題があるが、それは演奏してみてから、また考えを書くこととしたい。フィッシャー版の注解を読んでみたところ、第4楽章のフーガ主題には、そのころベートーヴェンが関わっていた(編曲を依頼されていた)スコットランドの民謡との関連も指摘されており、非常に興味深いものがある。

今日のところはこのくらいで。右肩の状態は東洋医学の治療に切り替えてからかなり良くなってきた。先週は5分も演奏すると痛くなって休まねばならなかったが、現在は30分くらいは連続演奏ができるまでになってきた。まだまだであるが、もう少しの辛抱だと思っている。

「ベートーヴェン ピアノ・ソナタ」の勉強(3)

第27番ホ短調Op.90。この曲は中学生のころ勉強した。2楽章形式で、後期への過渡期という位置にある作品だと思う。

久しぶりで弾いてみると私の好きな曲であることを再確認した。2楽章制ということではOp.49、Op.54などにも例があるが前者は若いころの「ソナチネ」なのでこの曲と同列には語ることはできない。後者は中期の作品群の中にあって実験的な要素を持っている。しかしこのソナタはそのいずれとも違って、のちのOp.111 につながるような後期様式への流れにある曲だと思った。

例によってベーレンライター版を使って演奏してみたが、第1楽章の第61小節で1拍目が8分休符になっているのを久しぶりで見た。注解も読んだが、これを書いていくと長くなるので省略する。一番驚いたのは再現部の第1主題、第164小節の左手である。大抵のエディションは提示部と同様になっているのだが、自筆譜によるとGis-H-Eの付点二分音符の和音になっているとのこと(私も確認 )。それならなぜ、ということについてはやはり注解を読んでいただきたい。ちなみに今まで文句を言ってきたウィーン原典版でもこの音を採用している(知人に全集を進呈したことを少しだけ後悔している)。第2楽章でも第13小節伴奏形の音がヘンレ版の音と違っている。その昔、音友版で弾いていた音と同じになっていることには複雑な思いがしたが、これも注解を読むとなるほどという気もする。

第28番 Op,101。何度も演奏した曲だが、若いころは評論家諸氏が絶賛するほどにはこの曲が名曲だと思わなかった。しかし今回演奏してみて、やはり名曲には違いないと思う。ただ、ベートーヴェンの作品としては中期までの作風とはあまりに違いすぎるという面はあるだろう。そういう意味では小松雄一郎氏の言う「停滞期」にあたるのかもしれない(『ベートーヴェン書簡選集・下』)。その、気持ちが逡巡するようなところにこの曲の魅力があるようにも思った。私としては第1楽章のロマン的情緒と第3楽章の深い瞑想的表現は何度弾いても感動するところである。この作品の第3楽章、第21小節で第1楽章主題が再現するところでの「tutto il Cembalo」という表記についてはすでに何度も書いたのでここでは省略する。そしてこの部分でのタイの解釈についてはベーレンライター版の注釈を読むと納得できるものがあると思う。第3楽章(考え方によれば第4楽章)の展開部フーガ、ベーレンライター版第179小節で従来の音とは違った音が見られたが、これについては複雑な心境だ。すでに慣れてしまった音で弾きたいとは思う。

さて、次は第29番変ロ長調Op.106「ハンマークラヴィーア」。この曲を演奏するのには精神も体力も必要である。現在の状況を考えると、次にこの曲を演奏するまでにはもう少し時間を置きたい。

そのくらい、ベートーヴェンの後期作品は簡単なものではないという気持ちに最近はなっている。

「ベートーヴェン ピアノ・ソナタ」の勉強(2)

3回目の全曲演奏(2回目と3回目は非公開で自分の勉強のため)は「告別」ソナタOp.81まで来た。

Op.57(熱情)では第2楽章の第2変奏まで、変奏の冒頭に拍子記号が新たに表示されているのは初めて見たことと、第62小節の和音が従来のものと違っている。

 第1楽章では以前から「più allegro」が気にはなっていた。この言葉は本来「今までより速く」という意味なので、この楽章の基本テンポ「Allegro assai」より速くなるのかどうか、という問題である。いろいろな演奏を聴いたが、直前のadagio から速くなるのは当然として、元の速さに戻ったような演奏は多い(例えばアラウ、ギレリスなど)。リヒテルの演奏だと主部でかなりテンポの動きがあり、コーダではさらに速くしているように聞こえる。https://www.youtube.com/watch?v=MZ2J1eFM-Rs

ビューロー版では主部のテンポを付点4分音符=126(第2主題は112)として、コーダを160というように指示している。

「最初の速さ」に戻すのなら「Tempo Ⅰ」と書く方法もあるのだが、ベートーヴェンはなぜ「più allegro」と書いたのかということである。

彼の作風を考えてみると、ピアノ・ソナタでは中期作品から最終楽章のコーダでテンポを上げる方法をとることが多くなる(第15番Op.28、第16番Op.31‐1、第21番Op.53、第22番Op.54など)。この考え方だとピウ・アレグロは楽章のコーダでテンポを上げることを意味するようにも思えるのだが、第1楽章の最後でテンポを上げる例は思い出せない。ベートーヴェンの考え方は「最終楽章に向かう音のドラマ」にあるとすれば、第1楽章で「熱情」が最高潮に達することは抑えたかったのではないか。とするなら「ピウ・アレグロ」の解釈は演奏者に投げかけているというようにも思われる。このコーダでの第248小節、右手最後の音符はそれまでの16分音符ではなく8分音符になっており、ずっと保ってきたリズムが変化していることなども考察する価値があるようにも思う。

第24番Op.78では第1楽章第16小節の左手4拍目の音がDis-Fisとなっているのを発見。注解書を読むと、2つの違いは意図的なものであることを警告するかのように sf の配置の変化によって示されている、とのこと。なるほど、と思ったがこれはすでにHenle版でも指摘されていたことを見逃していた。こういうことはよくあるので今後もっと調べてみたい。第2楽章の第47小節の音がHenle版と違っているがこれは第16小節に合わせた音になっている。資料に基づいた選択だと思うが、Henle版が正しいと思い込んできた私としてはかなり驚いた。Universal(Schenker)版ではこの楽譜と同じ音になっている。

第25番Op.79は第1楽章の第110小節。従来の楽譜ではここでpとなっているが書いてない。ここまでcresc.が妥当ということが注解書に書いてある。

第26番Op.81aは、レイアウトがきれいにできており譜めくりがしやすいことに気づく。とくに第1楽章全体と第2楽章の最後。それと第3楽章第20小節の右手がAs-AsとなっているがこれもHenle版では指摘されていたことだった。大抵の楽譜はAs-Cとしてある(以下譜例の★の箇所)。よく考えると10度の跳躍を合わせるよりソプラノの動きが左手の和音を考慮してAsとなった方がきれいにも思える。注解を読むとなおさらこの音が良いようにも思えてきた。(この箇所について音名を間違えて表示していました。10月20日に訂正しました。)

f:id:MickN:20201018094745j:plain

こういう勉強は非常に楽しい。