ベートーヴェン「ピアノのための変奏曲集」(7)

まだ続くのか、と思われる方々も多いことであろうが、前にも書いた通り、全曲を演奏するまでこの話題が登場するので、どうぞご容赦のほどを。

今日は「《プロメテウス》の主題による15の変奏曲とフーガ 変ホ長調 Op.35」。通称は「エロイカ変奏曲」だが曲の成立を考えると適切な呼称とは言えないようである。

Op.34のところでも書いたが、さすがにこの時代になると技巧的に相当難しくなってきている。私が「演奏した」というのは、弾き直しをしないで譜面通りに弾けた状態のことを言うのだが、もちろんミスをしたり、譜面にある強弱を間違えたりはする。その辺はおおらかに考えて、間違えたというのは、譜面は理解したのだが指が違うことをやってしまったのであって、いちおう曲のことは理解しているとの考え方で「演奏した」という意味である(何だか理屈っぽい?)。しかし、Op.35ともなると1回ではもちろん演奏できないし、何度かさらって初めて弾けるということになる。初回は初見同然(人の演奏を聴いて曲は知ってはいたので)で1度通してはみるが、全然弾けない所もあるので、その辺は取り出して練習。そして3回目くらいになると、先ほど書いたような状態で演奏できるようにはなる。これで良しとする。

この作品は規模も大きいし、序奏の後に主題が表れる形になっているのが今までとは違う。主題のもつ低音の可能性を示す手法はバロック時代の「パッサカリア」を思わせるもので、斬新である。そして序奏は「2声」「3声」「4声」と変奏されたのちに主題となるのが個性的だ。主題は「英雄」交響曲でおなじみのテーマである。分散和音、3連符など多彩に変奏されていくが、その中で、すでに序奏部から重音奏法にピアノ演奏上かなり難しいものがあることは指摘しておきたい(以下の箇所など。楽譜はIMSLPサイトより)。

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このような重音のテクニックは、「ピアノソナタ第16番Op.31-1」第2楽章にも登場していることを思い出した。

Var.2 ではテーマのフェルマータのところで壮大なアインガングも登場。かなりヴィルトゥオーソ的な要素を感じる。Var.5やVar.7では対位法的な要素も取り入れられているし、Var.9では左手の装飾音でテーマを表現するのが新しい(右手は先ほど出てきたような重音奏法)。

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Var.13は以前聴いていて装飾音の不協和感がペダルによって高められるのが疑問に感じていたのだが、これはペダルの踏み方、そして1拍目を強調しすぎないこと(sf は5小節目から)によってある程度気にはならないことを発見。やはり演奏次第だと思う。Var.15 はOp.34でも見られたような細密画的な変奏で、一度楽譜を見直してからでないと弾けなかった。この変奏の第17小節以降などは、交響曲第3番を思わせる感じがあり、響きの充実が素晴らしい。最後にフーガが置かれているが、バロック時代のフーガとは根本的に違ったものであり、のちの後期ピアノソナタを思わせるようなクライマックスを構築する一つの手段として「フーガ的」書法を投入したと見るべきであろう。

さて、残りはあと3曲。であるがここで少し休憩をとることとする。そろそろ自分のリサイタルの曲決めの必要もあるし、暗譜に向けての練習もしなくてはならないためである。今度はたぶん冬休みになると思う。

ところで、最近「グランメゾン東京」というドラマを見ているが(夜遅い番組なので録画して翌朝以降に見る)、なかなか面白い。

私はこのドラマの主人公・尾花夏樹が最高の料理を作ろうとする姿に惹かれるものがある。芸術も同じではないかと思う時があり、音楽家が音楽に没頭するときは他の事など忘れてしまうこともあると常々考えているので、社会的に「普通の」生活ができないことは私にもある。自分の研究・演奏のためには「普通の」生活を犠牲にすることはよくあるのだ。たとえば休日も休めない、など。「もっと休まないとだめ」などと言ってくれる人もいるのは有難いことではあるのだが、人生は短い、と思って自分のやりたい仕事に打ち込むことにしている。だから私は嫌われる、と言えばどこかで聴いたようなセリフであるが、これはまったく仕方のないことである。と思う。

ただ、昨日今日は少し時間があるので健康のために1時間ほど散歩をする。これも大事なことである。