敬称について

「先生」には「・・先生」とするのか、「・・様」とするのかという疑問を書いたサイトを見た。

これを読んで思い出すのは、ある音楽関係者の集まりで、ピアノ指導者が「私たちは自分の仲間を〇〇先生と呼んでいます! 皆さんも先生と呼んでください!」と主張していたある人のこと。その時にある新聞社の人たちがピアノ指導者たちのことを「〇〇さん」と呼んでいたからだった。

私はこの人とは意見が違う。先生先生と言われたって、所詮「先に生まれた」程度であって、知識は多少豊富かもしれないがそんなに威張れる存在とは思っていないからである。だから「先生」と呼ばれることは仕事の上ではしかたないが、仕事以外でこの敬称で呼ばれることはあまり好きではない。

ただ、私が生徒、学生に何かを指導する場合は「先生」と言いなさい、と言うこともある。これは彼らが世の中に出ていったときに恥をかかないように、という気持ちからなのであって、私が威張りたいからではない(ホント)。

宛先の敬称は全部「様」で良いとも思うのだが、中には「・・先生」と書かないと怒りだす人もいると聞く。まあ、世の中色々ですねえ、ということで。私はお世話になった先生には「〇〇先生」とは書くが、他者には強要しないしする必要もないと思っている。

さて、「先生」はいったい偉い存在なのかどうか。私はこれを考える時にしばしばかつての名指揮者ロヴロ・フォン・マタチッチの言葉を思い出す。

若い頃、ある雑誌で読んだことなのであるが、彼が「若い人に言いたいことはあるでしょうか」というような質問に対して「学ぶこと」と答えていたのである。「自分が何か知っていると思ってはいけません」。

それと、私のピアノの恩師は常々、「われわれの勉強は・・」という言葉を使っていた。これもよく覚えている。

これらは現在でも私の座右の銘となっている言葉である。人間が一生に知りえることは高が知れている。それなら、その何かを「教えさせてもらえること」に感謝せねばならない、その時にそう思い、現在でもその気持ちは基本的に変わっていない。だから知識は常に新しいものを吸収することが大事と思っているのである。それが楽しいことであるし、生徒、学生から何か新しい指摘を受けることがあれば、それは大変ありがたいことだと思っている(それ以上の「何か」を教える義務はもちろんあると思ったうえで)。

今後も「生涯勉強」を貫いていきたいと思っているところである。