音楽と時間

ピアノ作品の難易度を科学的に数値化できないか、ということを考えたことがある。

楽譜をスキャナで読み取り、技巧の種類、和音の厚み、速度、強弱の変化などを分析、この作品のグレードは〇〇です、などと表すことができれば学習者には大変便利だろう、ということなのだが、なかなか難しそうである。現在も時々考えるが、まあ、無理ではないかと思っている。

しかし難易度というものは存在するのであって、ブルクミュラー25の練習曲よりはショパンの練習曲作品10の方がずっと難しい。これをどのように説明できるのか、というのは私の今後の課題かもしれない。

さて、話は変わるが、日本バッハコンクールを知人が聴きに行って「かわいそうだった」と言っていた。何が、というと、曲の途中で演奏を打ち切られる人が多かったのだそうである。みな残念そうな顔をして帰っていったという話だった。これについては、コンクールの運営上の理由でしょう、と知人氏には申し上げておいたのだが、時間が来たからやめなさい、という方法での評価は昔から疑問だった。これに賛成の人はみな「平等だから」という。しかし、本当に時間で揃えることが平等なのだろうか?

時間の感じ方は人それぞれで、また体調の良し悪し、興味のあるなしによって変化することは誰しも経験があるとは思う。つまらない講義は長く感じるし、ゲームなどにのめり込んだら数時間などあっという間、ということもあるだろう。音楽も同じであって、良い音楽はずっと聞いていたいし(それゆえ「アンコール」という文化が生まれたと思う)、つまらない音楽だと数分で帰りたくなることだってあるはずである(こうなると演奏会も難行苦行に近い)。

もちろん、ホールを借りる都合、審査の時間などもあって演奏時間を調整するのだと思うが、ひとつの作品を演奏してもらう場合、その曲の最後まで演奏は聴くのが基本だと考える。これは、無理は承知で申し上げたい。演奏者のそれまでの準備、努力を考えると、最後の一音まで弾いてもらいたいと思うのが音楽を愛する人に共通の思いであるはずだと考えるのだ。

それでは、テンポの遅い曲と速い曲、繰り返しが多い曲とそうでない曲などをどう考えるのか、ということもあることだろう。その辺はコンクール開催者が「音楽的」に判断して決めて示す方法が良いと思う。長すぎる曲は課題曲としない、など。

ただ、本来の作品の通りにすべて演奏すべきである、という「オリジナル至上主義」も時と場合によるように思う。適度に編集された演奏で聴く方が楽しい場合もある。たとえばヴァーグナーの楽劇など。また、ブルックナーの「交響曲第9番」は未完成の作品だそうだが、さらに長大なフィナーレがあったらどうだったか。私は皆さんが名曲という同作曲家の「第8番」のフィナーレはいつ聴いても長いと思う。「第7番」を愛好するのはフィナーレがすっきりしているからであり、その他には「第6番」も好きである(特にヨッフムの指揮)。

音楽はその作品、演奏の魅力、どんな聴衆が聴くか、どんな場所で演奏されるか、などによって時間の感じ方は違ってくるとは思うが、一般論として、2時間を超える演奏会はやはり長い。いつだったか、アンコールを何曲も弾く人がいて、終了が22時近くなった演奏会があったが、これはさすがに行き過ぎかと思ったものである。何事も程々というのが良い。