モーツァルト「ピアノ・ソナタ」を弾く(6)

第2巻の続き。

変ロ長調 KV333」は、カデンツァを持つ協奏曲風であり、その意味で「KV311」と似ている。『アナリーゼで解き明かす 名曲が語る音楽史(田村和紀夫著、音楽之友社)』によれば第1楽章の主題はクリスチァン・バッハがお気に入りだった主題(Op.5-3、17-4)に似ていることが言及されており、さらにモーツァルトの素晴らしさは伴奏形の休符にあることが書かれている。確かにこの曲の主題は素晴らしい。第2主題における付点の書き方については、ウィーン新版の「演奏への助言」で初めて気づくことができた。これには感謝している(ただし再現部では右手の和音すべてに付点が記されていることにも注意したい)。また音楽之友社版の話になるが、第159小節の音をDではなくFまで上げているのは、提示部に合わせているのであろうが、モーツァルトが当時のピアノの音域に合わせて書いた音を勝手に変えることには賛成できない(もちろん現在このような楽譜を使う人は皆無であろうが)。

第2楽章は変ホ長調の緩徐楽章で、展開部の不協和音が独特である。そして続く短調での展開が見事だ。第3楽章は規模の大きなロンドで、C部分に主題も現れるのでロンド・ソナタ形式とも言える。この楽章の例えば第162-163小節を見ると下行音階がBで終わった後にBから始まる複合トリルがある。この部分から、前と同じ音からトリルを始める音楽語法もモーツァルトは持っていたことが分かると言えるだろう。カデンツァの書き方は16分音符ー8分音符ー4分音符と変化する音階がみられるが(譜例)、このような箇所をどのように演奏するかについては、バロック時代の書法(バッハやスカルラッティなど)、あるいは古典派作品のカデンツァの書き方を知る必要があると思う。たとえばモーツァルトだとピアノ協奏曲第23番KV488のカデンツァ、あるいはベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番の冒頭のような。

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㎸333 第3楽章カデンツァより

次に「幻想曲 ハ短調 KV475/ピアノ・ソナタ ハ短調 KV457」。幻想曲は初めて演奏してみたが、なかなか興味深い書き方が見られた。例えば第78小節から分散和音で下行した右手で奏される低音。このような扱いはさらに第117小節で顕著になり、低音部で奏されるメロディーの響きがモーツァルトにしては新鮮に感じられる。

この傾向は「ソナタ KV457」にも引き継がれており、第53小節、98小節、第182小節以降などである。

第1楽章はドラマティックな音楽で、この分野の最高傑作と評する人もいたようだ。第2楽章は精緻な装飾法が美しい楽章で、第12小節などには記譜されたルバートと思われるような音形も登場する。先ほどカデンツァのことを書いたが、第29小節のような小音符をまさか音価通りに弾く人はいないと思う。ベートーヴェン「”悲愴”ソナタ」やリストの練習曲「マゼッパ」も同様で、単に慣習として習うのみではなく、カデンツァ(風)書き方ということについて知っておくべきだと思う。第3楽章でいつも感じるのは第92小節以降などに見られる手の交差が、自筆譜だと大変弾きにくいこと。初版譜だと弾きやすくなっている。余談だが「幻想曲 ハ短調」は小学生の頃に初めて聴いたのだが、その時の演奏者がかなり変わった弾き方をする人で、それでこの曲の印象がかなり悪かったのを思い出す。最初にどんな演奏を聴くかということは大事なことかもしれない。

ヘ長調 KV533/494」。このソナタは規模が大きく、リヒテルの1988年来日公演でモーツァルトのみによるプログラムを聴いた時に、前半がこの曲1曲ということがあった。繰り返しを忠実に行えば30分近い演奏時間を要するのは確かである。第1楽章は主題が右手、左手それぞれに現れる書き方が印象的であり、特に第13,23小節などの響きに新しさを感じる。第2主題は2つもしくは「第2主題群」と言ってもよいと思うが、大変魅力的である。まず3連音に導かれるトリル主題。これはすぐに対位法的に展開される。そしてその後にバスに登場する新しい主題とのその後に現れる美しい旋律。ここが個人的に好みであり、ヴァイオリン・ソナタKV378の旋律も思い出す。続いて音階のパッセージが現れるが、この伴奏和音が美しい(譜例)。そして短調での展開部が更に素晴らしい。

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KV533より

第2楽章はアンダンテ、変ロ長調。この楽章に現れる転調の和音は全く独特であり、古典派の範疇を超えているようにも思われる。これは何と形容したらよいのか、現在の所言葉が浮かばない。

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KV533 より(2)


第1・第2楽章は3大交響曲の生まれた年(1788年)に作曲されたとのことであるが、さすがにそれを感じさせる深い内容の作品だと思った。

第3楽章は本来は小ロンドだったが、ソナタに取り入れる際に手が加えられたらしい(作曲は1786年)。主題は6小節構造で高音部で奏される愛らしいものだ。モーツァルトによくみられるが、C主題での短調への転調がここでも大変魅力的だと思う。そしてコーダの見事さ。この楽章でも対位法的な音の扱いが目立つことと、前述のハ短調の「幻想曲とソナタ」に見られるような低音で音を扱うことに新境地を見出しているように思える。

このヘ長調ソナタの演奏を最初に実演で聞いたのは先ほど書いた S.リヒテルの東京公演で、それは全く素晴らしいものであった。今でもその時のことはよく覚えている。

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東京公演でのプログラム