ピアノ「指導」

千蔵八郎氏の著書で『19世紀のピアニストたち』『20世紀のピアニストたち』は不朽の名著であると思うが、次のような話が印象に残っている。

ヨーロッパのさる都会からやって来た、レッスンに追われるビジーなピアノ教師が、ハロルド・バウアー先生に「ペダリングはまだ習っていないので今日から来週の月曜日まで毎日通って先生の所で習えば覚えられると思う」と言ったそうである。休暇も終わりなので忙しいということで、彼女はテクニックはゴドフスキに習い、解釈はブゾーニに教えてもらったという話。

バウアーがそれはとてもできない相談だと言うと彼女は「つむじ風のようにして、彼の許を去って行った」という(千蔵八郎『20世紀のピアニストたち[上]』より)。

確かに、習う側が時間を設定してお願いするということには無理がある。教える側がまずその生徒の力量なども見たうえで、どのくらいの期間で何が勉強できるかを判断することも大事だから。逆に、期間が決められている指導をする場合は受験指導や、各種コンクールに向けての指導などがある。この場合は「私が教えたら絶対合格できる」などと言うことはあり得ないので、その人の能力をみた上で、現在の実力だと難しいのではないでしょうか、とはっきり申し上げることもある。

さて、ピアノの指導を行う場合、入門から教えるのは別として、私の所にはふつうはある程度まで学習が進んだ人が習いに来た。基本的にはピアノの先生が連れてくる形になるが、そうでない場合、その先生に了解を得ていることを確認する、あるいはその先生からの紹介があって初めて指導ができると考えていた。

ところがこういうこともあった。ある人(音楽業界)から生徒を見ていただきたいという連絡があり、それでは電話してくださいということになったのだが、その生徒さんから話を聞いてみると「先生には話していません」とのこと。それなので「先生に相談してからにしてください」と言った。すると紹介者氏から「話が違う」という電話が来て困ったのである。私は先生の了解を得ることはいわば常識だと思っていたので・・・・

ここ10年くらい、地域にもよるがこういうことは結構あるということを知り、自宅でのピアノ指導には慎重になっている。大抵は現在習っている先生があって、しかもその先生の指導とは別に習いたいということが多い。もちろんいろいろな先生の指導を受けて音楽的な教養を深める、あるいは解釈の多様性を学ぶということは大事である。しかし、現在の奏法と違う弾き方を指示されることも考えられるし、考え方の違いから自分の音楽作りに迷いが生じるということも考えられるだろう。そういう指導にならないためには、別の先生に習う場合はその先生同士の信頼関係があった方が良いと考えている。それゆえ紹介してもらう形が一番良い。

私も、ピアノの先生の紹介により、何人かの(外人の)先生にレッスンを受けたことがあったが、これは非常に勉強になった。そして友人、先輩たちのレッスンも見せていただいたことが勉強になった。その先生の教え方でよく分からない点があった場合は今習っている先生に質問することもできたし、先生同士で「その解釈はいいですね」などの会話も聞くことができたのである。大学での公開講座も忘れられない。ピヒト=アクセンフェルト先生のバッハ講座、バルビゼ先生のラヴェル講座なども良かったが、勉強になったのはアイザック・スターン、シャーンドル・ヴェーグ各先生の公開レッスンであった(後者は私も伴奏を担当)。自分が学ぶ形ではボザール三重奏団の公開レッスン。大学院のころ、その当時一緒に演奏していたピアノトリオで受講したのだが、今でもその時のことは鮮明に覚えている。テンポの考え方、効果的な演奏位置などかなり参考になった。

私が生徒を教えるのは、今後も紹介があった場合のみである。今までに私のところに来た生徒さんたちは千葉県のK先生、桐生市のK先生、東京のN先生の紹介など。みなさん立派に成長され、現在はピアニスト、ピアノ教師などの仕事をされている。これはとてもうれしいことである(一度だけ紹介なしで受けたこともあるが、これはその先生からのレッスンの連絡がなくなってしまったらしいので致し方ないということで引き受けた)。

私は「音楽教育」という言葉は使っても「ピアノ教育」という言葉は使わない。ピアノに関してはあくまで技術の指導が基本であり、その曲をどう考えるか、については演奏者本人の考えを大切にしたいと思っている(もちろん年少者の場合は別)。「音楽」を教育する、あるいは「音楽」を用いて何かを教育することはできるかもしれないが、ピアノは音楽を表現するためのひとつの手段というように考え、どんな音楽を表現するのかということが大切だと考える。そのための技術指導だと思う。それゆえ現代に流行(?)の「コンクール入賞」を目的とするような指導を行うことからは離れてしまった。人から頼まれてアドヴァイスレッスンという形で指導したこともあったが、現在はやめている。

今後は自己の「研究」に時間を使うこととしたい。ここ数か月の自粛文化の中、そういう気持ちが強くなっている。