進路の決定

10年くらい前のことになるが、あるホームセンターの駐車場を歩いていた時、「三國君ですか」と声をかけられた。何と中学校時代の同級生だった。

現在は福島県で仕事をしているということで、原発事故の影響はまだあると言っていた。いずれゆっくり会って話したいね、と言って別れたが、その後メールのやり取りが何回かあった。

彼が言うには「お酒あまり強くはないですが、ゆっくり飲みたいね。君は、自分の思った通りの人生を歩んでいるだろうから、今更だけれどもその極意を伝授してもらいたいな。また、会えるときを楽しみにしております」とのこと。

この「思った通りの人生」という言葉であるが、私には何だかピンと来ないものがある。

というのは、彼が言っていることは、私がその当時男子で習う者がほとんどいなかったピアノという分野で仕事をしていることと思われるが、私は自分で「この道を歩もう」とはっきり思ったことがあまりなかったからである。小さい頃は親の言いつけ通り習っており、中学校以降は先生に言われたことを愚直に守ろうとしただけなのだ。大学が終わり、社会人となった時にやっと「音楽で生きていくしかない」とは思ったのだが。ただ、音楽の演奏のみで生活していくのは難しい。やはり教育・指導の仕事も必要だとは考えていた。

人生の方向を決定する時期は人によって異なる。伝統芸能の家に生まれたらその道を継ぐことはほとんど既成事実になっていることが多いだろうし、親の事情で(病気になった等)仕事を選択することもあるだろう。受験の成功や失敗によって左右されることも大きいだろう。本当に「自分で選ぶ」人生って意外と少ないのかもしれない、と最近考えている。

そうは言ってもピアノをなぜ続けたのか、ということを考えると、やはり音楽が好きだったからということはある。ただ、好きなのは「音楽」だったのであって、「ピアノ」ではない。だから、音楽学の分野や、作曲、編曲には興味があった。今でも時々友人から「彼は学者肌の演奏家でして」と紹介されることもあるが、悪い気はしない。要するに自分はコンクールに優勝することを目指すようなタイプではないと思っている。

若い人たちに進路についてアドヴァイスすることもあるが、本当に言葉の選び方は難しいと思う。「進路は自分で決める」ことが大事です、と言ったりもするのだが、親や先輩、友人との話が影響することもあるだろうし、本当に何が人生を決めることになるか分からないと思うのである。ただ、最後には自分で決断することが大事には違いない。後から「あの時○○だったら」などと後悔するようなことにならないために、である。私も親や先生の言う通りに音楽を続けたが、もし高校受験に失敗したら違った人生になっていたかもしれない。そのくらい「音楽で生きる」ことの難しさを最近感じているのである。