「ベートーヴェン ピアノ・ソナタ」の勉強(6)

昨年書いていたものの続きである。しばらく休んでいたが、「ピアノソナタ第30番 Op.109」から再開した。いつものようにベーレンライター版(以下「B版」を使用、初心に帰って楽譜を見ながら、指使いなども考えて演奏する。

「Op.109」はまず第1楽章で、Henle版ではlegato と書かれていた表記が「ligato」となっているのに気が付いた。この言葉については、かなり昔に某音大の先生から聞かれたことがあるのだが、森田学『音楽用語のイタリア語』によれば「古いイタリア語ではligato と言いますが、現在この形は使いません」と書かれている。野上素一編『新伊和辞典(白水社)』に「ligare: tr(他動詞)《雅》結ぶ,結合する,関連づける」とあることから、その時は辞書の通りにお返事を差し上げた。デル・マーの解説には、ベートーヴェンがいつもこの古い言葉を用いていたというように記されている。

第1楽章から第2楽章に移る際に終止線ではなく複縦線であることから、この曲は2楽章制なのだ、という意見をしばしば聞いたことがあるが、B版では第3楽章に移る際にも複縦線になっている。たしかに自筆稿をみると複縦線なので、この表記がベートーヴェンの意図なのだろうと私も思った。つまりピアノソナタ Op.27-1 や弦楽四重奏曲第14番 Op.131などのように楽章ごとの終止を無くしたと考えるべきなのだろう。

「Op.110」ではピアノ指導を受けた時にいろいろ楽譜に書いていない解釈を伝授されたことを思い出す。松野先生の恩師、永井先生はこうだった、などと聞くと演奏の歴史の重みを感じたものだった。例えば第1主題の第3小節の前でブレスをとるのかそうでないのか、第66小節の cresc. はどのように演奏するのか・・などいろいろ考えながら勉強したものである。この曲で驚いたのは第2楽章のアーティキュレイション。第5小節から第6小節に右手のスラーがかかっている。ここは第5小節でスラーは終わっている楽譜しか見たことがなかった。右手はスラーが終わり、左手は次の小節へのスラーが続く。それゆえ私は第5小節2拍目でペダルを上げる弾き方を選択していたのであるが、これもデル・マーの解説に「明らかに第6小節までかかっている」とあるので自筆譜を見たところ、やはりその通りだった。Wenzel Rampl による写本の誤りと判断すべきとあった。おそらく今後は考えを変えて演奏することになると思う。現在では私のようなものでも簡単に自筆譜を見ることができる。非常にありがたいと思っている。

第3楽章のレチタティーヴォ、第5小節の部分で左手はどこで入ってくるのかという問題。ヘンレ版だと32分音符2つになってから11番目の音符のところ、ウニフェルザール版だと13番目のところ。私はずっと後者で演奏してきた。これは自筆譜をみても判別できない。B版の解説を読むと、おそらく自筆譜でページが変わっているところで左手を導入する考えだったことは明らか、とある(垂直に揃えることにはあまり注意しなかったらしい)。以下は初版の表示。ウニフェルザールもこの位置だが、改めて見るとやはり何だか不自然な感じはする。左手が入ってきた時がホ長調という考えの方が自然だ。

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第174小節には「Tempo Ⅰ」という表記がある。これは以前の楽譜では見たことがなかったが「自筆譜(鉛筆)と1823年のイギリス版(クレメンティ)には書かれており見落とされた」とあった。確かにそのように書かれていることを確認。楽譜の選択はやはり大事だということを再確認した。

このフーガは弾きやすそうに見えて、実はなかなか覚えにくい曲だと思う。こういう曲は時々練習するべきだと強く感じた。

次は最後の第32番 Op.111。もう少し時間を置いてから演奏することとしたい。というのは今回の2曲はさらに復習をしたいと思ったからである。