話し言葉

私が子供のころは言葉使いについて大人からよく注意された。

「うん」という相槌は友達同士ではよいが目上の人には絶対だめ。「~だろう」という言葉は「~でしょう」と言いなさい、とよく直された。「ぼく」などと言っていたら友達から「そうね。“ぼく”がやるんだよね」などと揶揄されたこともある(これは高校生の時)。「俺」か「私(わたし)」でないといけなかったようだ。

ここ数年、TVを見ていてアナウンサーがよく「うん」という相槌を使っていることに気づく。こういうことを気にするのは私だけなのだろうか、と思って調べてみたらやはり気になる人はいるようだ。

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投稿者氏の年齢は分からないが、新人が入ってくるという言い方からある程度の年齢の管理職の方と思われる。若い方にはもはやこんな考え方は通用しないのかも、と思うのだがどうなのだろうか。

「なんだろう」「なんだろーなー」の濫用も私にはいささかうんざりすることもある。しかし年配の人なら聞きやすい話し方をするとも言えない。「えー」「あのー」の多用など、いろいろな世代で今でも聞かれる。これらは感動詞というものになるのだろうが、「ええ」について『三省堂国語辞典 第六版』では②の意味として「〔たいらな調子で〕次のことばが出なかったり、間を置いたりするときに そえることば」とある。落語家などが話の始まりに「えー、毎度ばかばかしいお話を・・・」というのは自然に聞こえるが、すべての文章の初めに「えー」が来るといささか気にはなるということ。こんなサイトもあった。「チコちゃん」でも取り上げていたようだ。

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 少なくとも接続助詞の使い方は間違えないようにしたいとは思っているが、私もかつては「だから」という接続詞を使いすぎることに気づいたことがあった。自分の話し方を録音することは非常に勉強になると思う。

言葉は変化する。そしていつの時代もその時代に合った言葉が自然であるということに異論はない。しかし、例えば学校の先生やアナウンサーや商品のプレゼンをする人などが方言で話したり、不自然な文法や言葉使い、くだけた言葉など使用することはどうなのかな、と思うことがある。たとえば「違ったら」を「違かったら」という話し方など。「すごい」の連発も気になる。

でも、自分の体験でも「標準語」ですべて話す人というのはアナウンサーくらいのもので(?)、アクセントが違うということはあっても仕方がないと思っている。関西の言葉などは時々聞くと新鮮に思うこともあるので。「キモい」はあまり使われなくなったように思うが「やばい」はまだ健在。言葉についてはいろいろ考えることも多い。